200以上の武器を自作した殺陣師・俳優 小松雅樹さんの働き方

執筆:大谷大

200以上の武器を自作したことでテレビで特集を組まれたことのある、俳優・殺陣師の小松雅樹さん。

小さい頃から様々な格闘技をしていた小松さんは、映画のエキストラとして出演したことをきっかけにアクション俳優としての道を歩み、その後俳優として自らが演じるだけでなく殺陣師として映画・ドラマ・舞台の世界に関わっておられます。

そんな小松さんの働き方についてインタビューしました。

※自作された武器をご紹介していただいたくだりは文章化が難しかったので割愛しております。ぜひYouTubeでご覧ください。

※動画の内容を一部抜粋した上で再編集して掲載しています。完全版をご覧いただきたい方はYouTube、またはPodcastをご利用ください。

小松さんが殺陣師・アクション俳優になる経緯

──いま小松さんが殺陣師としてやられているお仕事どういうものが多いですか?

最近では時代劇の舞台とか映像が少なくなってきてますが、ご縁で大きな映画のお仕事をいただいたりもあって役者の仕事をする機会は多いです。

でも、やっぱり軸っていうのは殺陣にまつわるもの。

殺陣を若い子に教えていく仕事がメイン事業です。

──小松さんはご先祖様が忍者ということを伺ったのですが、これって本当なんですか?

本当です。

小さい頃に私は家伝の武術ばかりやらされていて、野球やサッカーのルールも知らない少年でした。

当時「猿飛佐助」っていう特撮がかったドラマがあり、その主人公に憧れて「甲賀忍法」って言いながら庭石みたいなところから飛び降りようとしたら、爺さんが「うち伊賀もんだぞ」「なんで甲賀もんやってるんだ」みたいな話になって。

そのドラマの中では伊賀者は悪者なので「俺、悪者なんだ」ってちょっとガッカリしました。

その後、ジャッキーチェンに憧れて、ジャッキーチェンが映画の中でやっている型をコピーしたりしてました。

小さい頃から空手道場に親子共々行ってたんですけども、そこで仲良いお兄さんがいて私が高校生になった時に「親父に黙ってバイトしない?」って言われて。

その人がそういう業界の人で、エキストラで忍者をやりにある映画に連れて行ってもらって、エキストラとしてですが映画デビューしたことがこの世界に入ったきっかけです。

まずその世界が見れたっていうのが一番大きかったですね。カメラがこうあってこうなってるんだみたいなのとか。

──小松さんの場合はそうやって知人の関係でその業界に入っていったっていうことなんですけど、一般的にはアクション俳優さんの方とか殺陣師の方ってどういう風にしてその業界に入っていく方が多いんですか?

大きなアクションの事務所、例えばJACさん(現JAE)とか、そういうところに入る方が多いです。

そこで初めて「私はこういうことをやりたいです」って言って「じゃあ映画コースね」とか。

──専門学校もあるんですよね?

はい。専門学校もあります。

あとは大きな役者さんの養成所にアクション部門があったりもします。

小松さんが現在やられている仕事の具体的な内容

──小松さんは俳優として公演に出られることもあるじゃないですか。それって大体どのくらいのペースでやられてますか?

いまコロナで公演数が減ってしまってましたけど、私は「お化け」って言われてまして、多い時に5冊台本を持ってうろうろしてましたね。

だから大小はあるんですけども、小さな施設の公演から舞台が3連発続くとか、そういうことが結構あります。

今現在は小劇場の方はちょっとお断りしていて、営業とか大きな劇場さんとかに焦点を当てている状態ですね。

──特撮ものとかヒーローショーとかも出られてたと聞きました。

殺陣の世界とは別なんですけども、そういうのもやりたいなと思って、こちらから応募してやってました。

本格的なアクションが結構多かったので、一時期のめり込んでましたね。

ヒーローショーもコロナ禍になってからほとんどないんですが、ゴールデンウイークと11月の時期には毎週のようにあった時期があります。

──映画関係もいま関わったりはあるんですか?

一番最近ですと松平健さんの映画「文禄三年三月八日」で殺陣師と敵役をやらせていただいています。

松平健さんは雲の上の人ですけど、殺陣は付けさせていただいて。

松平健さんは殺陣をやっている業界の、殺陣を生業にしている人たちの中でもトップクラスにすごい方ですね。

私が殺陣を教える時に初めて見る殺陣を1発で覚えちゃうんです。

絡む人たちは二、三手しかないからこれは間違えられないっていうプレッシャーの中で取り組んでましたよ。

音楽活動「破天航路」

──日本の伝統文化とロックを融合した「破天航路」というバンド活動もされてますね。こちらはどういうきっかけで始めたんですか?

バンマスのSADAさんという、リアルちょんまげの人がいるんですけども、あの人が舞台の音楽を作ることがありまして。

そのときに「殺陣と音楽を合わせたものができないかな?」という話から、ちょっと一回やってみようと。

「このメンバーはどう?」っていって集まった9人でやったというか、ホント偶然の産物なんですよ。

──経歴を見たら、海外でガンガン公演やられてるんですね。

最初はどこかのスーパー銭湯でも行って営業しようかって言ってたのに、バンマスが青い顔して「最初のツアーが決まりました」と。

「えっ?山形?群馬?」って聞いたら「フランスです」って(笑)

そこから海外何カ国かで公演がありました。

転機となった仕事

──小松さんなりにあの仕事転機だったなというお仕事ってありました?

ツテがありまして大きな時代劇の劇団さんにお世話になってたことがあったんですよ。

そこの時代劇大好きな演出家さんが、最初はおっかなくて話もできなかったくらいだったんですが、ずっと続けていたらその分信頼度も上がって腕も上がってきているのを見てくれて。

そんな中で「戦国シェイクスピア」というものを作りたいという話が持ち上がりました。

最初は「マクベス」だったんです。「マクベス」を日本のある武将に置き換えて、戦国時代の時代劇をやってるんだけど内容はマクベスなんですね。

その最初の構成を座長と一緒に安い居酒屋でああでもないこうでもないってノートに書き写しながらやったのが、私の中ではすごい大きなきっかけでした。

──その公演はどれくらいの規模感でやったんですか?

出演者20人ぐらいで、期間は1週間ぐらいやったんですけど、本当に体当たりでやったのを覚えてますね。

その公演が良かったため、もうちょっと大きくやろうということで第2弾として「ハムレット」をやって、その時の主役が和泉元彌さんだったんです。

その公演がきっかけで、どんどん評判も広がり始めました。

「小松っちゃんこんなことできるんだ」「シェークスピアわかるんだ」っていうのをベテランさんに知ってもらったっていうことと、自分の中で手応えがあったんですね。

──それって小松さんがその世界に入ってどれくらい経ってぐらいの話なんですか?

15年くらい経った頃の話ですね。

それまではヒーローショーであったり役者であったり殺陣師であったり、並行してやっていたというか。

大きなお仕事でしたし、殺陣師としての仕事がバーンと決まったのは戦国シェイクスピアの時でしたね。

殺陣師・アクション俳優とお金の話

──お金の話とかもちょっと聞きたいんですけど、殺陣師さんとかアクション俳優さんたちって、お金をそこそこいただけるのってどのくらいの期間かかるものなんですか?

これは本当にピンキリなんですけども。

例えばヒーローショーとかをやるとこれはアルバイトなわけです。だから最初からギャラが発生します。

「アクションで食ってきたいんです」「立ち回りで食っていきたいんです」っていうのになると、まず自主公演じゃ食っていけないですよね。特に小さな小劇場だと。

ビッグネームが出るようなところでアクション隊とかで行って、お金をいただけるような交渉をしてやるっていう場合もあります。

どんな現場でもそうですが、どのぐらいやったかっていう期間じゃなくて、どのぐらいの腕かっていうのを見られるので、職人に近いです。

──小松さんは事務所に所属していてお金の交渉とかはされてたのか、個人事業主として自分で交渉されてたのかっていうと?

これはもう「自分で」ですね。最初から個人事業主としてやってました。

劇団さんにいた時には座長が「こいつはこのくらいにしてくれ」って言ってくださったこともあったんですけども、お金の話って自分で言い出しにくいことなので「今回どのくらいですか?」っていう感じで聞いたり。

あとは例えば、斬られ役としてうちから人を送り出すとして、1週間で行くんだったら「じゃあ稽古期間はこのぐらいでこのぐらいの値段でどうですか?」って言うと自分のことじゃないので話せるじゃないですか。

そうすると向こうは「小松さんのギャラはその上だな」っていう風に思ってくれるので、そうやって交渉することもあります。

あとは総予算があって「今回の舞台は総予算このくらいだからこのくらいでいい?」っていう依頼で来たりとか。

「小松さんのところに頼むとこれとこれとこれもやってくれるからその方が安い」「じゃあこのぐらいの値段で交渉しようか」って言ってきてくださるとか。

小松さんの日々の過ごし方

──日々の過ごし方というか、「1日こうやって過ごして」とか決まってることってあったりするんですか?

もうバラバラですね。

ありがたいことにお仕事の依頼がくるので、あんまり考えている暇がないというか。

ひとつ決まってることがあって、日々の稽古ですね。

偉くなるとあんまりみんなに交じって稽古ってのをやらなくなる人も多いんですけど、火曜日と土曜日にみっちりやってます。

道場は火曜日と土曜日と決めて、ほとんど休まずにもう10年以上ですかね。

稽古の時間は6時から9時過ぎぐらいまでやることが多いです。

殺陣師・役者として印象的だったエピソード

──これまですごいいろんなことがあったと思うんですけど、嬉しかったこととか印象的なエピソードがあったら教えてください。

先ほど話たハムレットとは別現場ですが、和泉元彌さんが主役をやられた大きな舞台の中で、オープニングの殺陣をやる機会がありました。

そのオープニングの時に、初日だったので押せ押せになって時間がなくなってしまい「すいません元彌さん、一回しか当てられないかもしれませんけど」と伝えたら、私を含めたメンバー6人全員の名前を一人一人呼んで「この6人が絡んでくれるんで僕は大丈夫です」って言ってくださったんです。

しっかり認められてるんだって、一人一人きちんと覚えてくれたことが嬉しかったです。

小松さんがいまの時代劇に思うこと

──時代も今だいぶ変わってきて、それこそ時代劇とかも昔と比べたらだいぶもう見なくなっちゃったんですけど、小松さんから見てそういう時代の推移っていうのはどう見えているんですかね?

これは制作さんに聞いたんですけども、まずヌケが撮れるところ、背景がない。

電柱が映っちゃったり人工物が映っちゃったり、または許可がめんどくさかったりっていうロケの問題があります。

あとドラマよりもカツラ・衣装・刀っていう絶対的な小道具代がかかってしまう。カツラ・日本髷ってのは高価なので。

また朝方のロケになることも多かったりと、デメリットが多いので作りにくくなっているそうです。

時代劇やるには切った張ったがあって「いや、その斬り方だったら斬れないだろう」と、斬ったことのない人が言ってきたりすることもあって。

そんな言葉が時代劇をやる人の心を萎えちゃったのかなと思うことはあります。

ただ、時代劇をやろうとしている人たちはいっぱいいるので、いま我々おじさんたちは若い子らが付き合っている代理店さんと時代劇をやってる制作会社とを繋げてあげたいなと思ってます。

殺陣師・アクション俳優の仕事をする上で大切にしていること

──小松さんがこういう仕事をやられてきて、大事にしていることやモットーってどういうところですか?

大切にしているのは人付き合いです。

会社が取ってきた仕事ではなくて、人と人とでやっているお仕事なので、ご縁を大事にしたいと考えてます。

誰かを紹介してもらう時は絶対に一言伝えるようにしてます。

また、殺陣師をどんどん育てていきたいと思ってます。

最初は下手でもいいんです。下手でもずっと稽古に来ていれば、頭と目がよくなるんです。だから、鍛錬を積めば誰でも殺陣師にはなれます。

殺陣師・アクション俳優の仕事の魅力

──最後に、小松さんが思う殺陣師・アクション俳優という仕事の魅力って何でしょうか?

私は時代劇や活劇というか、戦いの場面みたいなものを観るのが好きなんですよ。

それが体現できるというか、自分で作れる・表現できるっていうところが魅力ですね。

例えば「西遊記だったらあの場面のこれだからこういう風にやってみよう」っていうその思い描いた絵を、鍛えた役者さんの手によって作れるわけですよね。

その完成を見るというか、作っているのが1個の作品作りという感じがしてやっぱり楽しいですね。

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