企画屋・イベンターの八田雅也さんにインタビューしまして、すごくいい話を伺えたので前後編に分けて動画をアップロードしてます。こちらの動画は前編です。
前編では、企画屋・イベンターの仕事をするまでの経緯や、現在の仕事実例を挙げていただきました。
企画屋・イベンターの八田雅也さんにインタビューしました。すごくいい話を伺えたので前後編に分けており、この記事は前編です。
前編では、企画屋・イベンターの仕事をするまでの経緯や、現在の仕事における実例を挙げていただきました。
企画屋・イベンターの仕事内容
──八田さんの名刺には「企画師」と書いてあるんですけれども、イベントの企画・制作・運営をやられているんですよね。
企画・制作屋で合ってるのかどうかも、自分では正直よくわからないんですよ。
イベンターって言われることもあれば、プロモーターって言われることもあるし。
基本的には企業・組織のブランディング・イメージアップのための企画だったりとか商品の魅力を伝えるとか。
「良いものだよ」っていうのを伝えるためにどういう視点でそれを見せるべきかというのを設計・見せ方を一緒に考えていくというスタンスの仕事の仕方をしていますね。
──仕事の相手先は企業さんが多いですか?
企業さんも多いですし、地方のまちづくり団体の仕事とかもやったり、個人事業主の店舗とかもサポートしたりもします。
──地方のまちづくりイベントではどういう方とアポを取るんですか?
地方のまちづくり団体の現場で動かれている観光協会長とか、地方の裏ボス的な。裏ボスって言っていいのかな(笑)
町のために「想い」で動かれている方がすごく多かったりするので、そういう想いで動かれている方に共感して、一緒に何かできないかという話につながっていって、じゃあ一緒に取り組みましょうと。
地方は地方でもちろんできることがあって、首都圏からはできないこともいっぱいあるんですけど、逆に首都圏だからサポートできることもあるので、そういうのをうまく連携してやってます。
正社員として数々の転職を経験
──大学卒業後に就職されたんですか?
製造メーカーに入ったんですけどそこは1年で辞めて、そこから5社6社ぐらい転職しました。
完全歩合のテレアポ営業みたいなゴリゴリの営業から、IT関連のシステム会社に入ったりとか色々転々としました。
テレアポ営業は契約社員でしたが、他は正社員として働いてました。どこも2,3年ずつですかね。
──転職が多かったのはしっくりくるところが見つからなかったからですか?
それぞれのところで面白いことは見つけて色々やってたんですけど、ご縁があって「うちの会社に来ないか?」とか、そろそろ転職してみたらみたいに誘われての転職が多かったです。
──転職の際に不安はなかったですか?
全然なかったです。順応性は結構高い方なんじゃないのかな。
八田さんが今の仕事に至るきっかけ
──そこからいまの仕事に繋がっていくと思うんですけれども、きっかけってありました?
最後の会社がSNSマーケティングやウェブマーケティングも含めたクチコミマーケティングをやっていて、企画営業みたいな仕事をやってました。
その仕事でクライアントさんとお話する時に「お金を払うのでよろしくお願いします」って言われるんですよね。
こっちで一生懸命考えてホームページ見たりとか得られる情報は色々探して作った企画を持っていても「ちょっと違うな」と言われてしまって。
今から考えたら当たり前なんですけど、自分がその会社の中の人じゃないから中のことを全部わからないじゃないですか。
それを外側の人に全て丸投げでお願いされて丸投げで受けるスタンスだったので、すごくやりにくいというか。一生懸命考えてもそれがポイントずれてたりとかするわけですよね。
一度クライアントさんから「おたくの企画をやってこれだけ利益が出るっていうのを約束していただけるならこのお金を投資して払いますよ」って言われたんですね。「約束できるんですか?」みたいな詰め方をされて。
多分この人とこの企画一緒にやっても楽しくないし、この人にとっても良くないし、そこで無理やり仕事を取ったとしても後々問題が起きるじゃないですか。なので「多分合わないと思います」って断ったんですよね、営業として。
断って帰ったら、会社で上司に怒られたわけですよ。
そういう経験があって、たまたま友人に誘われて「一緒に会社を作ろう」という話になって会社を辞めたんです。
ただ、友人の誘いで一緒にやろうっていう流れで会社辞めたんですけど、仕事辞めてからその話自体がなくなったんです。
──また波乱万丈ですね。
たまたまご縁があって、「省庁関係のプロジェクトのメンバーとして動いてくれませんか?」っていう相談というかお誘いをいただいて。
国が勧める運動に賛同してくれる会社とかをいっぱい集めてくるっていう渉外担当として、フリーランスという形で動き始めました。
その時は屋号も何もないフリーランス・個人事業主として、そこと契約してお仕事を頂いて動くみたいな。
そこで繋がった人たちからまた新しいお誘いが来て、案件紹介いただいて、相談を受けて、できそうやったらやるみたいな。
──人を通じて話が入ってくるって意識していることってありますか?
雇われてる時から人間関係とかも会社の中だけで終わるのがすごい嫌だったんですよ。
ビジネス交流会とかは積極的に参加していました。外のつながりができるんですよ。
自分の会社の中では常識だけど、全然違う業界の他の人たちと話をするとそういう目線もあるんだっていうのが入ってくるじゃないですか。
屋号「KAZOO」への想い
KAZOOっていう楽器がありまして、僕は音楽全然やらないんですけど、これって息を吹いても音でないんですよね。「ブー」っていう言葉が増幅されて音が鳴るらしいんですよ。
それってさっき言ってた話に戻るんですけど、企業さんが伝えたいメッセージとかって企業の中にあるわけですよね。担当者が持っているわけです。
その担当者がこれを言いたいってはっきり言ってくれなかったら、なんかいい感じるの出してよって言われても音が出ないんですよね。
無理やり出した音って変な音になるけれども、会社の中からちゃんと出た音を増幅させるための企画考えます、というスタンスで仕事したいなっていうのとうまく合致したので、KAZOOっていう名前を屋号に使いたいなと思い立ちました。
企画屋・イベンターとして立ち上げた企画の一例
──これまで八田さんが立ち上げた企画で、印象的なものがあれば教えてください。
人を軸にしているっていうのがポイントなので、出会った人と何か面白いことをやりたいねってなって、じゃあその人が何をやりたいのかを聞いてその人がやりたいことを実現できるような企画を一緒に考えているので、業界がバラバラなんですよね。
例えば、レーサーと一緒に素人ばかりが集まるゴーカート大会をカート場を貸し切ってやったり。
レーザーカッターって分かります?でっかい機械で木をレーザーで切っていくんですよ。それをたまたま仕事で使うきっかけができて、そこのメーカーさんと仲良くなって、じゃあこれで遊ぼうってロトの剣とか作ったら、たまたま堀井雄二さんにつながったり。
「共感道場」って言って、インプロビゼーションっていう即興芝居をやっている日本の第一人者みたいな人とつながって、その人と一緒に本来は役者向けのトレーニングでやられてたワークショップを一般人向けにちょっと簡略化して、一般人の人でもコミュニケーション力を鍛えようみたいなことを勝手にやり始めたら、そのつながりで日本弁理士会って特許とか取る公式研修として採用いただいたり。
音楽関係で言ったら「ふるさと会帰-kaiki-キャラバン」といいまして、過疎エリアのいっぱい人が出ていく場所と出てきた都会を縁が切れないように音楽の力で繋ごうという企画とか。歌詞にすれば普段はしゃべれないことでもメッセージとして伝えられるんじゃないのかっていうので地方へ行って歌い倒すみたいなことをやってます。
「Proud of Nippon」っていうので、全国の港町と連携して15エリアから自慢できる地元の食材をこっちに送ってもらい、人も来てもらい、首都圏の人たちと一緒に知られざるうまいものを肴にパーティーするとか。
「和こころ」と言いまして、伝統産業の職人さんが中心なんですけど、格好いい生き方している人たちの物語を集めていくプロジェクトみたいなものを勝手に自分で立ち上げまして。※和こころについては後編の記事でたっぷりと語っていただいてます。
地方・港町と連携して流れ着いた海ゴミの問題を考える「ブイアート」では、プラスチックでできた「ブイ」っていう浮き玉を地方から送ってもらって、首都圏で親子でペイントして生まれ変わらせながらみんなで海のことを考えようっていう企画とか。
──こういった企画を考えるのにかかる時間ってどれくらいですか?
早い時は早いですし、話聞いて共感して何かできないかな、でつなげてみたら何か生まれたり。
種が生まれたらそこからは早いんですよね。
種が生まれるまでっていうのは、自分一人で考えるというよりいろんな人に話をしながら「じゃ、こんな視点もあるんじゃない?」っていうのが出てきてそれが集まって「じゃあこういうのもありだね」みたいなつながっていく感じなので、早い時は早いです。
自分のスタイルとしては、時間をかけて無理くり出した企画ってだいたい失敗してます。
後編の記事
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